恋人繋ぎをしてみましょう

「えっ、まだなん?!!」

 そんな声が部室中に響く。忍足先輩、声でかすぎです!

「鳳、それはあかんわ……」
「何が『まだ』なんだよ」

 その声を聞きつけて、跡部さん、宍戸さん、向日さん……と、ソファーで寝ているジローさん以外の二年生レギュラー陣が集合する。俺は先輩たちに囲まれてしまった。

「跡部聞いてな。コイツまだちゅーしてへんねんて!麻衣ちゃんと」
「ちょ、忍足さん!言わないでくださいよ」
「「「はぁ?!」」」

 跡部さん宍戸さん向日さんの声がかぶる。

「長太郎……お前そりゃないだろ」
「し、宍戸さんまでそんなこと言うんですか」
「うん。同感。つきあってから一ヶ月以上も経ってるのにそれはさすがにナイんじゃね?」
「む、向日さん……」

 ぐさぐさぐさ、と言葉の槍がささる。
 麻衣とつきあいはじめて、正確には一ヶ月と八日。
 確かに俺だって、さすがに進展ないとヤバイとは思うけれど。
 だからこそ、部活が終わった後こっそり忍足さんに相談したってのに、これじゃあ筒抜けだ。
 なんで忍足さんに相談したかって、跡部さんやジローさんには口調は違えどとりあえず押し倒しとけとか言われそうだし、向日さんは真面目な相談なのにからかってきそうだし、宍戸さんは俺と同じで奥手なタイプだと勝手に思っていたからだ。忍足さんなら、経験豊富でなおかつ俺の立場に立ってアドバイスをくれそうだ。そう思ったのに。

「ハッ、この調子だとキスどころか手もつないでねェんじゃねーか?」

 たぶん、跡部さんは冗談で言ったんだと思う。
 しかし、根が正直な俺は一瞬言葉を噤んでしまった。

「図星かよ…!」
「激ダサだな」
「だ、だって!まだ俺達高一ですよ!十五ですよ!純な付き合いでいいじゃないですか!」
「何言ってんだよ、昔の人は十五で嫁に行ってんだぜ!」
「がっくん、それはちょっと言い過ぎちゃう?俺ら現代っこやで」

 忍足さんは笑う。そうだそうだ、俺達は二十一世紀を生きているんだ。
 はじめて自分に味方をしてくれた忍足さんに感謝したのもつかの間。

「……せやけど。手ェくらいつなぐで普通。ここまで彼氏が奥手やと麻衣ちゃんがほんまかわいそうやわ。女の子からはなかなかこーいうことって積極的になりにくいねんで。だから男がリードしていかなあかん」

 そんな諭されるように言われると、なんだか俺はすごく麻衣に悪いことをしている気分になる。
 高等部から氷帝に入ってきた麻衣はテニス部のマネージャーだ。はじめて麻衣に会ったとき、俺はその柔らかな雰囲気とかわいい笑顔に一目ぼれしてしまって、それから先輩達にたくさん相談して、なんとかつきあいはじめることができた。
 でも、中学時代の俺といったらテニスしかしてなくて、女の子に告白されたことはあるけれど、実際つきあったことはなかった。だから、今さらつきあうといっても、いつどこで何をしたらいいのかわからない。いきなり手を繋いだら向こうがひいたりしないか、なんて心配になってしまう。

「恋愛はな、臆病になったら終わりだぜ」

 跡部さんだ。まるで俺の心を読んだかのようなタイミングでそんなことを言うものだから、その言葉は俺の心にずっしりと響いた。
 そうだ。俺がこんなままじゃダメだ。嫌われることを恐れて、つきあって一ヶ月以上経っても手も繋がないでいるなんて、逆に麻衣を不安にさせてしまう。いきなりキスだとかそれ以上のことはまだ俺達には早い気がするけれど、でも、ゆっくりゆっくり、距離を縮めていくのは、悪いことじゃない。

「っ…俺、がんばります!!」

 そのままダッシュで部室を出て、校門へたどり着くと、いつもなら俺が麻衣を待っているはずなのに、今日は麻衣のほうが先だった。

「ごめん、待たせたよな…?」
「ううん。いっつも長太郎くんが待っててくれてるんだから、たまにはこんな日があってもいいんだよ」

 なんていい子なんだろう。まるで天使みたいだ。愛しさをかみしめながら、二人で歩き始める。

「それでね、」

「……で、跡部さんがね」

「……ったんだよ~」

 麻衣はいろんな話をしてくれるが、今日の俺には馬耳東風だった。いざ手を繋ごうと思っても、緊張してなかなかタイミングがつかめない。俺は麻衣の話に相槌を打ちつつも、頭の中は手を繋ぐことでいっぱいいっぱいだった。

「長太郎くん」
「うん」
「……話聞いてる?」
「うん」
「………私の話、つまんないかな」
「うん」

 って、え?!ちょ、ちょっと待った!
 いつの間にか機械的に相槌を打ってしまっていた俺は、最低なことをしてしまった。

「って、違!違うんだ麻衣!」

 気付いたときにはもう遅い。麻衣は傷ついたような顔をした。

「ごめんね長太郎くん、つまんない話しちゃって……」
「違うんだ、俺が考え事しててうわの空だったから……ほんと、ごめん」
「そんな、私に気遣わなくていいんだよ。長太郎くん、練習で疲れてるのに……」

 無理をして俺に笑顔を向ける麻衣。
 違うんだ、麻衣、誤解だ。ちゃんと話聞いてなくてごめん。俺は本当にバカだ。
 俺は、咄嗟に麻衣の手をつかんだ。

「……長太郎くん?」
「……ごめん、俺、ずっと、麻衣とこうやって手を繋ぎたくて。いつ、手を握ろうかとかそんなことばっかり考えて緊張してて……うわの空になってたんだ。なのに、こんなふうに麻衣を泣かしてしまうなんて、俺、最低だ。ごめん」

 ほんと、俺って、どうしてこうもバカなんだろう。本末転倒じゃないか。

 そのとき。
 俺に握られるがまま力なくうなだれていた麻衣の指が、遠慮がちに俺の指に絡む。
 瞬間、俺は麻衣の手が痛くならない範囲の最大限の力で彼女の手を握った。
 麻衣の手は、やわらかくて、小さくて、初冬の寒さで少し冷えていた。
 しばらく沈黙が続き、先に口を開いたのは麻衣だった。

「―――長太郎くん、ありがと」
「え?」
「私も、ずっと手繋ぎたかったんだ」

 ふと目が合って、微笑み合う。
 じわじわと俺の心はあたたまってきた。大好きな子と手を繋ぐということだけで、大好きな子が自分と手を繋ぎたいと思ってくれていたということだけで、こんなにしあわせになれる。
 先輩達は「まだキスもしてないのか」と言ったけれど、俺にとって今はこれだけで十分だ。
 いずれはキスとかそれ以上に進むときが来るのだろうけれど、俺達は、俺達のペースでゆっくり進んでいけばいい。

 とりあえず今日は、少しでも長くこの左手のぬくもりを感じていたいから。

「……遠回りして帰ろうか」

 俺がそう言うと、麻衣は、今まで見た中で、いちばんうれしそうに笑った。

Fin.
企画「Empire of ice」さんに提出させて頂きました。